|
■2010/03/15 (月)
パリとフランクフルト |
3年目になる春のパリのワークショップが5月にある。
同時にフォーサイスカンパニーでのワークショップもあることを、安藤洋子さんのメールで知った。
今年も忙しくなるかも。
しかし、忙しいのは有難いことだ。
古い言葉だが「一本ドッコ」で生きてきて、その成果が忙しさになっているのだから、それは間違っていなかったということになる。
ということは、人生など30代40代で結論が出るものではないし、出してはいけないものだということだ。
むろん、守銭奴的金至上主義の人には、当てはまらない。
当然、学歴主義権威主義の人にも当てはまらない。
そう言えば、沖縄の「一本ドッコ」の鉄人名嘉睦念さんから、お手紙を頂いた。
昨年は睦念さんがインフルエンザにかかり、折角の宴会が流れてしまった。
今年は、あの濃い目と神の手を肴に60度の泡盛を飲みたいものだ。
|
■2010/03/13 (土)
木佐貫邦子さんのステージ |
帰宅して、又東京、帰宅。
木佐貫邦子先生の公演を吉祥寺シアターに観に行った。
安藤洋子さんの師でもある木佐貫先生の舞台を一度観たいと思っていたが、残念ながら何時も何かとバッティングしていて機会に恵まれなかった。
今回を逃したら、また何時になるか分からないと思ったので東京に出向いた。
舞台が開き、先生のソロというか、作品のイントロ的なパーツが始まった。
その時の印象は「狭い舞台でするのだな」と感じた。
作品が進行するに連れ、参加している若いダンサー達が踊る。
「広いステージだった」何度か、木佐貫先生と若いダンサーが交差するシーンがあったが、そこにあるものは全く違った。
世界があるのと無いのとの違いだ。
世界があり、そこから動きが導き出されるのと、振り付けを動いているのとの違いだ。
終演後、田辺の地元の梅酒を差し入れに行くと、先生が着替えて表に出てこられた。
先生が「駄目だしを下さい」と言われたので、私の持った印象をお話した。
しかし、世界がある、と私は言葉として使うし、実際そういう具合に見える。
その「世界がある」とはどういうことだろうと考える。
逆の世界が無いというのは、誰にでも分かる「振り付けを動いているだけ」のことだが、その逆の要素がハッキリとしない。
湯島の押切さんのBar道に行き、公演のミニ打ち上げをダンサー達とした。
途中、道のお客さんも混じり、かなり飛躍した打ち上げになった。
何と朝9時まで。
深夜嬉しい情報が愚息から入った。
吉祥寺シアターに空きを見付けたということだった。
一睡もせずにシアターへスケジュールを押えに行った。
来年5月19日から3日間公演を決めたぞ!どうする?
そういえば、埼玉の公演では大ホールで蜷川幸雄さん演出のリハーサルが行われていた。
稽古場でのリハーサルの時、隣の部屋では大竹しのぶさんや、草刈民代さんなどがリハーサルに励んでいた。
休憩の時、そんな人達とよくすれ違った。
で、公演の三幕目の終わり頃、どういう風の吹き回しか蜷川幸雄さんが、私達の舞台をのぞきに来ていた。
それがどうした、というようなことだったが、やはり、東京ではそういったメジャーな人達を見る機会が多い。
つまり、舞台や画面で見ている人が、同じ空気の中におり、素のその人を観察することが出来るのは、大いに勉強になるということだ。
何が同じで何が違うのか。
それとも何もかもが全く違うのか。
岡山での公演の時は、倉敷から岡山の劇場に移動した。
その時、市電で移動した。
岡山の人や観光客の人達と一緒の車両に乗る。
妻が明らかにダンサー達と普通の人とは仕切りがあるのでは、というくらい違っていたと言う。
1週間の合宿は、ダンサー達の在り様を大きく変えたのだ。
意思のある姿、意思のある目が、少なからず育っていったということだろう。
やっと道場、自宅。
ドアを開けるとプーンとかび臭い匂いが鼻をついた。
天気予報では雪ということだったので、「水は?」が一番に心配したことだ。
道場に着く手前のカーブに、水を引いている沢がある。
そこを見て一安心。
雪ではなく雨が降ったらしく、水が音を立てて流れていた。
ガレージに回ると、蛇口からオーバーフローした水がしこたま流れ出ている。
「風呂に入れる」押切さんと電話で、東京での公演の手筈を考える。
まず劇場を確保しよう、でなければ何も始まらない。
公演後記をアップしました。
スナップがあります。
http://www.hino-budo.com/2010-OKAYAMA-SAITAMA.htm
やっと道場に帰る事が出来る。
2月21日に倉敷に入って以来、帰宅していない。
岡山の公演の後は大阪教室、埼玉公演の後は東京教室、そして今日の大阪教室があったからだ。
明日道場に帰るのが怖い。
クモやヤモリ達が我が物顔でうろついているだろうからだ。
今回の公演を体験したことは、私にとって本当に勉強になった。
まず何よりも自称「ダンサー」と名乗る人達の舞台に対する基本的認識や、そ認識に付随する技術が全く教えられていない事を知ったことだ。
舞台と観客との関係のことだ。
つまり、表現そのもののことだ。
そこを突破する時間はあるのか。
あるとすれば日常時間を使う以外にはない。
つまり、どんな在り様で日常を過ごすかだ。
在り様が姿勢を決定し、学ぶべき要素を規定する。
そこが逆転するとどうにもならなくなる。
つまり、要素が先にあるのは駄目だということだ。
そこからは、在り様には届かないし技術にもならないからだ。
シゲヤンこと北村成美さん。
「踊りに行こうぜ!」の本番があるので、埼玉公演の後東京に残った。
私達は、疲れと日曜日は東京教室の為、和歌山の道場に帰るのがおっくうで、そのまま東京に残った。
夜、食事をしホテルに戻る為にウロウロしていた。
「あれっシゲヤン」
完全にバテテいたので、幻覚かなと思った。
妻が
「何で、ここにシゲヤンがいるわけないやん」
「そらそうや…そやけど…シゲヤン」
「ハイ、えっ」
と偶然雷門辺りで遭遇した。
公演の話に華が咲いた。
シゲヤンはリハーサルを控えているが、午前3時まで居酒屋で飲んだ。
本当に今回の公演は、周りの人達の好意で実現したとつくづく思う。
地元では、ぶっかけうどんの古市さんを初め呉服屋の長曽我部さん。
アフタートークの司会を快く引き受けてくれた森田恵子さん。
とにかく有名無名の人が一丸となって支えて頂いた。
埼玉公演も、作家の押切さんやデザインを引き受けてくれた大久保さん。
イメージ画を描いてくれた寺門さん。
自民党が敗北し民主党になったとまではいかないが、コンテンポラリーダンス界にそれくらいの変化や刺激は必要だと思ってくれている人達が応援してくれたから実現した公演だ。
ツィッターで
「しかし、批評家が一人も来ていなかったなー。勿体無い」
とつぶやいてくれた桜井圭介さん。
ありがとうございます。
今回公演を初めて試みて、お客さんの手応えを充分に感じることが出来た。
つまり、ワークショップの「表現塾」で行なっているレッスン。それよりも数百倍厳しい「武禅」。
そこでの正面向かい合いの集団バージョン版は、ダンサー達の手によって舞台で実用化されたということであり、その事が舞台にとって重要だということが証明されたのだ。
お客さんとのリアルコンタクトこそ、現代の舞台に欠けているものだということなのだ。
さっきシゲヤンからメールが届いた。
「踊りに行こうぜ!」で、過去とは全く違うステージが出来たと。
初めてお客さんのシーンという静けさの音を聞いたと。
一歩また階段を上がった。
教室に来てくれている一人が、ツィッターに書き込まれていた埼玉での公演の感想を拾ってくれました。
以下
この舞台。観客をほったらかしにしない。頭じゃなく身体が反応した。
びくっと痙攣・鳥肌・ボコッと腸が動く(笑)なんだこれは!
…
さいたま芸術劇場でREAL CONTACT 2010観た!面白かったー。みんなぶるぶるしてた笑。日野晃氏。友達の友達が出演
埼玉芸劇でリアルコンタクト。もとジャズドラマーの日野晃による「日野武道」。やばいかも・・と思いながらも行ってよかった。どんなダンスより美しい。TPAM捩子ぴじんで踊っていた人も出ていた。
今日は日野晃「Real Conect」@さいたま芸劇に行ってきた。すごかった!リアルダンス!!
日野晃公演、タイトル間違えました。ただしくは「Real Contact」です。しかし、批評家が誰も来てなかったなー。勿体ない。
昨日、日野晃『Real Contact』を観て来た兄夫婦。二人ともダンス初体験。お義姉さんは観終わった後、動けなかったらしい。で、「あ、涙出てる・・・」と気がついたくらい、感動してたみたい。次回は、絶対私も観る。
リアルコンタクト。一幕では、うらやましくて泣けてきたんです。自分に足りないリアルなコンタクトがそこにあるから。
頭は全然ついていけてなかった。でも静かに侵食されてます。昨晩は、スーパークリアハイビジョン的な映像で夢に出てきて、今日は仕事中にフラッシュ映像が。しばらく、続きそうです。
日野先生の舞台終わりました。上質の舞台でした。今回誘ったダンサーは10年来の付き合いで、うまくいけば日本を代表するダンサーになるとかっている一人です。でも本人の意識とダンスの将来性が問題です。「良かったでも舞台に立ちたかった」と、当然の感想です。私だってそうですよ、だけどもう無理です
ビフォートークに少し遅れたのに、最前列のほぼ中央をゲット。半分以上顔見知りで、一緒に行ったダンサーの知人も出てました。しかし客席は埋まってません、世界に誇る日野晃の舞台なのに、いったい日本人は何をやっているのか!何で見にこないのか、どうして理解しようとしないのか!?嘆くべきは自分の感性に自信を持っていない、他人と迎合しないと不安である現代人気質の奴隷であることから解放されることさえ望まない、平穏という監獄であること。
みなさんありがとう!!感性に感動します


相手に付いて行く、というテーマでの対照的な二つのシーン。
しかし、本質的には同じだ。
ここで一番の問題は、相手について行くと「思わない」こと。
本当に1/100ミリも1/1000ミリの誤差も無く、ピッタリとついて行くことだ。
すると、身体は動き出す。
しかも何よりも美しく。
|
■2010/03/06 (土)
ありがとうございました |
始発電車まで、美味しいお酒を飲めた。
舞台監督や照明さんも大喜びしてくれた。
小雨が降る中、多くの人達が埼玉に足を運んでくれた。
満席とはいかなかったが、そこそこ一杯という感じだ。
足を運んでくれた皆さん「ありがとうございました!!」
押切さんが早速感想を書いてくれています。
http://miti4.exblog.jp/
美の護身術の制作の皆さん。
全く畑違いの科学者の人達。
とにかくダンスに関係する人達より、ダンスに余り興味の無い人が多かったように感じた。
前代未聞のビフォアートークも、押切さんの誘導で楽しく納まった。
岡山での公演を終えた後、何箇所かの手直しの必要を感じていた。
しかし、その代替アイディアが直前まで浮かばなかった。
前日リハーサルの終了間際、閃いたのでそこを完全に変えた。
「どうすれば、ダンサー達がもっと際立って見えるか」
その一点に拘っている舞台だから、その為には中味をどんどん変える。
1部のオープンはそっくり変え中盤のシーンも変えた。
2部は、違う作品なのでは、と思うくらい変更。
3部はスピードアップした。
その変更は良い方に作用した。
舞台は生ものだから、いくら演出しようが、そうならないこともある。
それも踏まえて最善の方法を用いた。
コンテンポラリーの現状は、作品主義だという。
「作品?」と頭をひねってしまう。
所詮舞台上には身体しかない。
それの動きをいくら変えようが、本質的には何も変わらない。
となると、どんな思い込みを持って、その作品なる幻想を維持するのかしかない。
そうなると、身体は極度の思い込みのフィルターでくすんでしまうのだ。
いかに純粋な身体にするか。
もちろん、その稽古は難しい。
押切さんは、2005年のフォーサイスカンパニーでのワークショップや、その年の横浜での初めてのダンサーや表現者の為のワークショップ、ショーケースを体験してくれている。
その押切さんが「いやあ、ココまで進化するのを見ると感慨深いです」と。
私としては、余り進化した実感は無いのだが、周りから見ると皆進化したということだ。
言わば、私のワークショップを続けるとこうなる、という一つの成果発表的位置づけでもあったのが今回の公演だ。
「東京でも是非」と画家の寺門さんや、多くの方から嬉しいリクエストがあった。
何はともあれ、
「岡山、埼玉公演に足を運んで頂いた皆さん、本当に、本当にありがとうございました」
押切さんがブログで岡山公演の感想をアップしてくれています。
端的で分かりやすいです。
是非、好奇心に火を付けて下さい。
そして、埼玉に足を運んで下さい!
http://miti4.exblog.jp/
|