小児科医の思うこと

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さるさる日記

2010/03/12 (金) 心を折る行為(1)

<無医化危機 揺れる村> 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20100310-OYT8T01075.htm

<引用開始>

1通の辞職願で上小阿仁村が揺れている。村唯一の医療機関「上小阿仁村国保診療所」に勤務する有沢幸子医師(65)が「精神的に疲れた」と先月下旬、突然、退職表明し、61年ぶりの無医村になる可能性が出てきたのだ。関係者は必死の慰留を続けているが「辞職の意思は固い」という。休みは20日に1回という激務に耐え、地域医療を支えてきた有沢医師に何があったのか。(糸井裕哉)
■村の神様
「死に水を取ってもらえた」「こんなに話しやすい先生は初めて」。村を歩くと村民から、有沢医師への感謝の言葉が聞こえて来る。有沢医師は昨年1月の赴任以来、午前8時30分〜午後5時15分の定時診療のほか、早朝や夜間の往診も自発的に続けている。
脳梗塞(こうそく)で倒れた母(88)の看病を続ける小林ユミ子さん(66)の元にも、有沢医師は診療時間の合間を縫って連日訪問。今月8日の流動食開始日には3度往診し、「鼻から胃へ液体を落とすのよ」と優しい口調で説明を続けた。
小林さんは「分からないことは丁寧に教えてくれる。有沢先生は私たちの神様なんです」と話す。
斉藤ヒサコさん(70)は昨年3月に他界した義理の母(享年92歳)に対する有沢医師の献身的な診療が忘れられない。
ふりしきる大雪の中、深夜の午前1時でも3時でも容体が悪化すると点滴や酸素ボンベを持って夫と駆け付けてきた。嫌な顔一つせず、「少しでも休んで」と家族をいたわってくれた。
「息を引き取る瞬間まで、『ばぁちゃん、早く元気になれ』と声を掛け続けてくれた。先生が居なくなったら私は生きていけない」と斉藤さんは声を絞り出した。
 ■心に傷
辞意を表した理由を有沢医師は公にしないが、小林宏晨村長(72)は「言われ無き中傷により、心に傷を負わせてしまったことが最大の原因」と語る。
村幹部らによると、有沢医師は昨秋、診療所向かいの自宅に「急患にすぐに対応できるように」と自費で照明を設置。だが、直後に「税金の無駄使いをしている」と言い掛かりを付けた村民がいたという。
また、昼食を食べに行く時間が無く、診療所内でパンを買った際、「患者を待たせといて買い物か」と冷たい言葉を浴びせられたり、自宅に嫌がらせのビラがまかれたこともあったという。

2010/03/12 (金) 心を折る行為(2)

昨年、有沢医師の完全休診日はわずか18日。土日や祝日も村内を駆け回り、お盆期間も診療を続けた。しかし、盆明けの8月17日を休診にすると「平日なのに休むとは一体何を考えているんだ」と再び批判を受けたという。
診療所の小嶋有逸事務長補佐(60)は「こんなに身を粉にして働く医師は過去に例が無い。無医村になったら村民が困る。自分で自分の首を絞めている」と憤る。

 ■翻意なるか
村は、有沢医師の負担を軽減するため、土曜日の完全休診制や村の特別養護老人ホームへの往診免除などを申し入れ、交渉を続けているが結果は芳しくない。
村民の中には有沢医師に「辞めないで」と懇願するために受診する人もいる。署名活動の動きもあり、旅館経営の高橋健生さん(62)は「一人でも多くの声を伝えなければ手遅れになってしまう」と話す。
有沢医師は兵庫県出身で、海外や北海道の利尻島などで診療に携わった経験がある。村へは夫と共に移住した。有沢医師は後任が見つかるようにと辞職日を来年3月末にした。だが翻意しなければ、村は2〜3か月後に医師募集し、後任探しをしなければならない状況に追い込まれる。
小林村長は「一部の不心得者のために人格も腕も一流の医師を失うのは不本意。医師不足は深刻で、無医村になる公算は限りなく大きい」とため息をつく。

<引用終了>

書かれていることが結構すごいので、長文だがあえて全文引用した。
相変わらずこういう話はあるようだ。
65歳ならもう定年でも良いだろうし、これまで頑張って来られた有沢先生には、心からお疲れさまでしたと言いたい。

それにしても、この記事に書かれている事象はひどいものだ。

自宅に自費で照明をつけたら「税金の無駄遣い」と言われなき中傷をされ、診療所内で昼食を買ったら文句を言われ、自宅に嫌がらせのビラを撒かれ、年間に18日しか休暇を取っていないのにお盆に休んで暴言を浴びせられている。
これが真実だとすれば、あんまりな対応ではないか。

2010/03/12 (金) 心を折る行為(3)

医者が一人の診療所というだけで、もうその大変さは察するにあまりある。
休みもほとんどなく、しかも老人ホームに往診までしていたのだ。
本当に頭の下がる働きぶりである。
慰留する内容としては、往診を「免除」なのだそうだ。
これが言葉通りだとしたら、一体何様のつもりか。

記事にもある通り、65歳という年齢で体力的に疲れたと言っているわけではない。
「精神的に疲れた」とおっしゃっているのである。
もう限界だったのだろう。
心が折れてしまったのだ。
これだけ頑張ってこられたのに、こんな扱いでは当然である。
聖人君子であっても「やってられるか」と思うだろう。
Dr.コトーだって逃げ出すに違いない。

それでもこの先生は突然辞めるのではなく、辞めるのは1年後だ。
一般的に後任を見つけるのには十分な時間だ。
これだけでこの先生がいかに責任感を持って仕事をしてきたのかが良くわかる。
もう限界であるはずなのに、「あと1年は頑張る」と言ったも同然であるからだ。

でもまあ、後任を見つけるのはすごく難しいであろう。
こうした事象が明らかになってしまった後で、こんな地域にそうそう好き好んで行く人間がそんなにいるとは思えない。
報酬を上げて募集しても厳しいと思う。
金の問題ではないからだ。

地域の理解というのは重要なのである。
医者も人間だ。
それがあるかないかで、当然のことながら働くモチベーションが異なる。
地域の理解があるところには医者が集まり、ないところからは医者が逃避するのだ。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=532192&log=20070718
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=532192&log=20080502

体力的なことは、ある程度の気力カバーできる場合がある。
気が張っていれば寝ないで働くことも、ある程度は出来る。
しかしながら、その気力さえも奪うような扱いをされたら、絶対に続けられない。
心が折れたら、いくら体力が大丈夫であっても仕事はできないのだ。

こんな扱いを受けていたら、慰留されても残るべきではない。
年齢的にもそうであろうし、あと1年頑張ったら、ゆっくり休んでいただきたいと切に思う。

後任が見つからず、無医村になったとしても自業自得と言わざるを得ない。

2010/03/11 (木) 食の意味と歴史と文化(1)

チャミ猫さんも書かれておられるが、ご承知の通り、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を「ザ・コーヴ」が受賞した。
それに対して、当然のことながら反発が起きている。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=523824&log=20100310

和歌山県太地町の立ち入り禁止区域に不法侵入し、隠し撮りをして、しかも漁業組合員を「ジャパニーズマフィア」と表現したり、「イルカの肉をクジラ肉と称して売っている」などの誤った情報で、故意に悪いイメージを浸透させようという、ドキュメンタリーの風上のもおけない映画である。
隠し撮りに事実の歪曲というと、どこぞの三文週刊誌レベルではないか。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100308/tnr1003081335010-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100308/tnr1003081335010-n2.htm

シーシェパードと同様に、「生命」や「食」とは何であるかということを全く理解しようとしない、自分たちの価値基準のみを押し付けた傲慢な行為である。
そうした映画が賞賛されるということは、白人どもはみんなそう思っているのだと考えて差し支えないだろう。

イルカ漁は食用、そして他の漁獲資源を守るための間引きである。
食用ならばもちろん許されると思うし、食用だけではなくとも自分たちの資源を守るためならば、そうした行為は当然である。
つまり農作物を守るために野生動物を駆除するのと理屈は全く同じなのだ。
畑を守るために、畑を荒らす野生動物を鉄砲で撃つのと一緒なのである。
そうした行為は、西洋人であれば当たり前のようにやっている。
同じ哺乳類に対して行うことだ。
正当化されるべきである。
反捕鯨国だって、かつては脂を取るためだけにクジラを殺してきたではないか。

2010/03/11 (木) 食の意味と歴史と文化(2)

これが殺すことそのものが目的だとか、無駄に命を奪うだけなら批判しても良い。
しかるにそうではないだろう。
昔からの歴史と伝統文化に基づき、生活を営むためにやっていることなのだ。
まあ、以前にも書いた話ではあるのだが。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=532192&log=20070605

ここから食に限った話を書く。
実は本日このような日記を書いているのは、下記のような記事を見つけたからだ。

<中国、「反動物虐待法案」提出へ イヌ・ネコ肉の食用禁止を明記 賛否両論も>
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100311/chn1003110908003-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100311/chn1003110908003-n2.htm

私は、犬や猫を食べる習慣のある国が、自分たちだけでそうしたものを食べることについては一切批判はない。
もちろん自分でわざわざ食べようとは思わない。
日本にはそのような習慣がないからだ。
だからといって、そうした国の人に野蛮だから食べるのをやめろとは言わない。
犬や猫を食うからという理由で、そうした国を差別しようとは思わない。
それならば反捕鯨国に対して何も言う資格はないと思う。

2010/03/11 (木) 食の意味と歴史と文化(3)

虫を好んで食べる習慣の国もある。
個人的に虫だけは生理的に絶対受け付けない気がするが、何もそういう国に向かって野蛮だから食べるのをやめろなどとは言わない。
明治の文明開化のときに、牛肉を食べることを野蛮だと言って揶揄する日本人がいた。
今ではもちろん当たり前のように食べられている。
そうした習慣を受け入れば、それは野蛮でもなんでもなくなるのだ。
可哀想などという感情なんて、その程度の薄っぺらい、子供の発想のエセヒューマニズムに過ぎない。

すべての生き物は、生きるために他の動植物を殺して食べなければ生きては行けない。
その中で命の序列なんて言うものはないのだ。
牛や豚や鳥はOKで、クジラやイルカはダメなんていうバカな話はない。
そんな都合のいい話は、そういう文化にある国の人間が勝手に決めた序列だ。
それこそが傲慢なのである。
命を奪うという意味ではどちらも同じなのである。
それを理解しなければならないのだ。
単純に可哀想などと言いながら平然と牛や豚を食べる連中は、そうしたことがまるで分かっていないのである。

特に動物愛護団体や反捕鯨団体に至っては、そうした感情を利用して金集めに利用しているだけである。
同情を引いて金をせしめる詐欺行為と何ら変わりはない。
何のことはない。
一番動物を利用しているのは、お前たちの方なのである。

結局、自分たちの国にそうした習慣がないからと言って、それをそうした文化を持つ国にまで強制しようということが問題なのである。
そして引用記事にあるように、中国はそれに屈しようとしているのだ。

<引用開始>

とりわけ、「犬肉料理」が有名で、関連産業に10万人以上が従事し、年間の売上額が10万元以上に上っている江蘇省徐州市沛県では「人間の生活が侵害される」などと反対の声が高まっている。
同県の「犬肉料理」は2000年以上の歴史を誇っており、漢の高祖・劉邦も宴会で、客に饗応するなど毎日食べたと伝えられており、昨年、江蘇省の無形文化遺産に登録。地元で養殖された犬肉は日本やロシア、韓国、シンガポールなど海外にも輸出されているという。
常教授は「イヌやネコは人間の友であり、食用を禁止することで、中国が新たな文化レベルに達したことを内外に知らせることに通じる」などと指摘している。

<引用終了>

2010/03/11 (木) 食の意味と歴史と文化(4)

これだけの文化と歴史がある。
無形文化遺産にも登録されている。
関連企業もある。

それなのに、この法案の起草責任者である教授は「犬や猫の食用を禁止することで中国が新たな文化レベルに達する」などと言っているのだ。
文化が何かということが分かっていない。
自分たちが昔から培われてきた文化を捨て去ることで新たな文化レベルに達するなど、バカの戯言である。
孔子だって「温故知新」と言っていたではないか。
「古きを捨て去り」などとは一言も言ってはいない。

これを見て、さすが中国だと思った。
「中国4000年の歴史」なんていうのは嘘っぱちで、女真族やモンゴル人などの他民族が支配した歴史があり、王朝が変わるたびに前王朝を前否定して文化遺産の破壊の限りを尽くしてきた連中ことが良くわかる。
中国人に取って、歴史や文化は尊重するものではなく、ただ単に政治的に利用するものに過ぎないという価値観なのだ。
今の中国は、中国共産党が支配してからたかだか数十年の歴史しかない実験国家なのである。
歴史なんてなきに等しいのだ。

だからこそ、文化大革命などという暴挙がまかり通る。
昔から伝えられたものでも平気で壊す。
破壊の限りを尽くす。
断言するが、日本では文化大革命なんて起こりえない。
お前たちとは、培ってきた真の意味での歴史が違うのだ。
歴史や文化に対する敬意、そうしたものに対する感情がまるで違うのだ。

そして我々は、近くにあって我が国に多大な影響を及ぼしているのは、そういう国なんだと自覚する必要があるのである。

2010/03/10 (水) 三角食べ(1)

私は食事の時は、いつも計算して食べている。
おかずなしのカラご飯がイヤなのである。
炊き込みご飯やカレーやチャーハンのように、もともとご飯に味がついているようなものなら気にしないで食べるが、最後にご飯だけが残ってしまったら食べるのがつらい。
メシの友は何でも良い。
漬け物一口でも良い。
とにかくカラご飯は絶対にイヤなのである。
だから、残りご飯とそれに見合ったおかずが同時になくなるように食べるのだ。
食事の終盤近くになると、無意識にでもそういうことを計算して食べている。

また高校時代の寮生活の影響で、食事に非常に執着するようになってしまった。
意地汚くなり、残すという行為が出来なくなった。
カラご飯で残すという行為も出来ない。

その結果からか、私は意図せずして三角食べをしているのであった。
もともと一つのものをずっと食べ続けるというのが嫌いなのかもしれない。
一つのものが大量にあると、どこかで何らかの方法で味を変えたくなる。
また食事のシメにはこだわる。
食事の最後の一口が、脂っこいものとか、濃い味のもので終わるのは絶対にイヤなのだ。

ウチの子供たちは、一つのものばかり食べたがる。
まず味噌汁を飲まない。
ご飯やおかずの合間に飲んでおけばいいのに、そうしようとしない。
野菜もあまり食べない。
放置すると、そのまま食べないで終了となる。
三角食べ推進派の自分としては、な〜にやってんの!?と思う。

もちろんそんなことは許されないので、「最低これこれは絶対に食べなさい」と決める。
そうしないと、食後にじいじが買ってくれたイチゴは食べさせん、とか、見たい番組があってもテレビはつけん、というわけだ。
子供たちはそれでしぶしぶ食べる。
どこの家庭も似たようなものかもしれない。

2010/03/10 (水) 三角食べ(2)

三角食べといえば、先日書いた学校給食の話であるが、同級生にわざとそういうことをしないのがいた。
三角食べは学校からの方針であるが、あえてそれに反発したらしい。

そいつの給食の食べ方はこうだ。
一つのものに手をつけたら、それがなくなるまで食べ続けるのである。
その間、他のものには一切手を出さない。

前に書いたように、その学校の給食ではビン牛乳、パン、おかずのみである。
まず牛乳を一気に飲み干す。
その後に来るのが、地獄のパンゾーンである。
飲み物なしでパンだけをひたすら頬張るのだ。
喜んでやっているわけではない。
パンゾーンに突入している時、そいつはいつも「つらい〜」「飲み物欲しい〜」などと言いながら食べるのである。
パンゾーンを抜けると、待望のおかずゾーンだ。
これを一気に食べて給食終了となる。
地獄のパンゾーンを少しでも速くくぐり抜けようとするから、食べ終わるスピードは尋常ではないくらい速かった。

さすがにそうした食べ方は長続きせず、結局同級生は1ヶ月くらい続けてやめた。
小学校高学年くらいの男子はこんなモンかもしれないが、結局なにがやりたかったのか今もよくわからない。
こうして数十年経った今ここに書くくらいだから、ネタとしてはいけるのかもしれないが、おそらく特に意味なんてないのであろう。

子供たちが三角食べをしない理由について考えていたら、ふと思い出した。
ウチの嫁さんの食べ方である。
嫁さんは三角食べをしない。
ご飯もカラご飯OKだし、味噌汁もずっと冷えても構わず放置しておいて、食事の最後に一気飲みである。
私にとっては許されざる食べ方なのだ。

そうか、お前の所為だったのか。(笑)

2010/03/09 (火) 学校給食

昼に医局で話をしているときに、何故か学校給食の話になった。
世代や地域によって全く異なるのが面白い。

私は親が転勤族であったので、転校の経験がある。
だから地域や学校による給食の違いを体験できた。

小学校3年生から4年生になる時に北海道から東京へ転居した。
そこでの給食が結構強烈だった。
まず例外なく100%主食がパンである。
ご飯や麺は一切ない。
で、ビン牛乳も必ずつく。

北海道の小学校は、パンや麺やご飯の日があった。
どう考えても東京の方がはるかに都会の小学校のはずなのに、このギャップはすごかった。
まあ、それならそれでも良い。

問題はおかずだった。
パンと牛乳の他は、おおむねおかずは1品である。
なにせ皿が一つしかないのだ。
そのおかずが、なんというか、結構キテいた。

なんと、ひじきの煮物だったりする。
ひじきを煮たものとパンと牛乳だ。
おでんの時もある。
おでんとパンと牛乳だ。
今から考えても、う〜〜〜〜ん・・・という組み合わせである。

コロッケやシチューなんかおかずに出てきたときには、「今日はなんて良い日なんだ!」と泣きそうになったくらいである。
やっぱパンにはこれでしょう!と当たり前のことに感激した。

そのような給食を起こった小学校を卒業し、中学校はまた北海道の地方都市に戻った。
そこの中学校も給食である。

私はそこでの給食に狂喜乱舞した。
もうご飯や麺があるというだけで嬉しかったし、きちんと食べ合わせを考えたメニューであった。
煮物にパンなどという妙な組み合わせはない。

当時一番の不人気メニューだったのは「グリンピースご飯」というシロモノであったが、それですら私にはおいしく感じた。
給食のおいしいという閾値が他人よりも著しく低かったのである。
もう米だけで満足だった。
いつの時代だ!?と自分でも思った。

今の学校給食はすごいらしい。
特に給食センターではなく、学校独自で給食を作っているところは独自の工夫を凝らして、昔では考えられないようなメニューを出しているようだ。
いい時代になった。
自分の時代に戻すべきなどとは露程も思わない。
調理をする人や栄養士さんなどの努力の賜物であろう。
きちんと栄養やバランスのとれたものであれば、別に豪華でも良いと思う。

そう考えると、やっぱ給食費を払えるのに払わない奴らって、尚更許しがたく思ってしまうなぁ。

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